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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)3943号 判決 1963年5月06日

判   決

東京都荒川区町屋二丁目二九五番地

原告

押尾宇之蔵

右訴訟代理人弁護士

渡辺邦之

東京都港区芝海岸通二丁目六番地

被告

東海運株式会社

右代表者代表取締役

楢崎晁

松岡勝信

右訴訟代理人弁護士

椎名良一郎

吉原歓吉

秋山知也

右当事者間の損害賠償請求訴訟事件について、当裁判所はつぎのとおり判決する。

主文

1  被告は原告に対し金二、一三〇、八一〇円を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを五分し、その三を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

4  この判決は第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金三、六九一、三九九円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、昭和三七年三月二五日午後三時三五分ころ、足立区宮城町二四番地先道路上において、原告運転の第一種原動機付自転車(通称カブ号、以下原告車という)と、訴外河本光則の運転するコンクリートミキサー車(登録番号八は〇八九九号、以下被告車という)が衝突し、よつて原告は脳出血、蜘網膜下出血左大腿部打撲傷及び挫創等の傷害を受けた。

二、被告は、被告車を所有し、これを被用者である河本をして運転させ、自己の事業を執行中に本件事故を惹起したものであるから、被告車を自己のため運行の用に供する者であることは明らかである。したがつて被告は、自動車損害賠償保障法第三条の規定により前記衝突事故によつて原告が蒙つた損害を賠償すべきである。

三、本件事故によつて原告が蒙つた損害は、つぎのとおりである。

1  医療費として支出を余儀なくされた損害金一二七、〇八〇円すなわちその内訳は、足立区千住桜木町五三番地尾竹橋病院に支払つた昭和三七年五月分の入院費用金七九、九九〇円、同六月分金五五、六〇〇円及び同七月分(退院日である同月七日まで)金一一、四九〇円合計金一四七、〇八〇円から、被告が同病院に支払つた保証金二万円を控除したものである。(なお原告は同年四月末までの医療費として金一六六、六七〇円、派出婦料金として合計金二万円、原告の妻竹の付添食費として金三、四〇〇円合計金一九〇、〇七〇円の損害を受けたが、右は被告から支払いを受けたので本訴請求からこれを除いた。)

2  病院における食費として支出を余儀なくされた損害金九、〇五〇円。

すなわちその内訳は、前記病院に支払つた昭和三七年五、六月分の原告の妻竹の付添食費である。

3  得べかりし利益の喪失による損害金三、〇五五、二六九円。

原告は靴下卸売業を営んでいた者であるが、本件事故による前記傷害のためその営業は生涯不可能になつた。原告は、受傷当時五八才であつたからその余命は一五、四六年であり、本件事故に遭遇しなかつたならば、少くともその後七年間(六五才まで)は右の営業を継続することができた筈である。そして原告の一ケ年間の純利益は金五二〇、一〇四円(売上純利益金五三二、七〇四円から公租金一二、六〇〇円を控除したもの。)であるから、受傷後七年間の得べかりし利益をホフマン式計算法によつて算出する(中間利息は、民事法定利率年五分の割合による。)と金三、〇五五、二六九円である。

4  慰藉料金五〇万円。

原告は本件事故の発生によつて前記のように受傷し、昏睡状態の儘前記尾竹橋病院に入院し、四日目から意識が僅かに回復したが、なお嗜眠状態で、言語障害があつた。昭和三七年七月七日に一応退院したが、その後も暫く通院して治療を続けた。現在は歩行速度は極めて緩慢であり、また言語障害も依然として残つている。計算その他の理解力も劣るので前記のように生業を続けることができないばかりか、その生涯を廃人として送る他はない実情である。これらの事情から、原告の精神的苦痛を慰藉するためには金五〇万円が相当である。

四、そこで被告に対し、右損害合計金三、六九一、三九九円の支払を求める、

と述べ、被告の抗弁に対し、

被原の抗弁事実は、いずれも否認する。訴外河本には被告車の運行に関し過失があつたし、被告車には構造上の欠陥があつた。

と述べ、立証(省略)

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として

一、第一項記載の事実中、原告の受傷の部位程度は争うがその余を認める。

二、第二項記載の事実中、被告が被告車を所有し、これを被用者である河本に運転させて被告の業務執行中に本件事故が発生したことは認めるか、被告に損害賠償の義務があるとの主張は争う。

三、原告主張の損害については争う。

と述べ、抗弁として、

1  本件事故は、原告の過失によつて惹起したものであつて、被告及び訴外河本は、被告車の運行に関し注意を怠らなかつた。すなわち本件事故は、訴外小野田レミコン株式会社足立工場の正門前において発生したものであるが、被告は訴外河本に対し常に自動車を運転してこの正門から、その東側をほぼ南北に走る公道に出る場合には正門の線で一旦停車し、左右を注視しながら最徐行で進出し、もつて左右から進行する人、車等との出合頭の衝突を避けるべく注意していた。河本は被告の注意を守り、本件事故発生の際も先ず被告車の最前部を正門の線上にして一旦停車し、左右の安全なことを確認したうえ、最徐行しながら約三、四米進出した地点で再び停車して左右を注視した。ところが前記道路の右側(南方)から進行してくる車両等は認められなかつたが、左方(北方)約七、八十米の地点を時速約三〇ないし三五粁の速度で進行してくるダンプカーを認めたので、その通過を待つて進出すべくその儘停車を続けていた。そして、約一〇秒を経過したころ、折柄後部荷台に約三五瓱以上の荷物を満載して南方から北方に向つて進行してきた原告車がその左側のフロントカバーの前部を停車中の被告車の右前部側面に接触させたものである。かように被告車が北方から進行してくるダンプカーの通過を待つて停車している場合には、ダンプカーと反対方向から進行する車両の運転者としては、一時停車の措置に出るべき注意義務があるにもかかわらず、原告はこれを怠り、被告車の前部とダンプカーとの間を通過しうるものと軽信し、漫然進行したため、自ら停車中の被告車に衝突したものであるから、本件事故は原告の過失のみによつて生じたものであることは明らかである。

2  被告車には構造上の欠陥又は機能の障害はなかつた。

と述べ立証(省略)

理由

一、昭和三七年三月二五日午後三時三五分ころ、足立区宮城町二番地先道路上において、原告の運転する原告車と訴外河本光則の運転する被告車とが衝突したことは、当事者間に争いがなく、(証拠―省略)及び後記認定の本件事故の態様、つぎに認定する原告の外傷の部位と原告が右半身に運動障害を遺していること等を総合すると原告は、右衝突事故の発生によつて外傷として、左側頭部に軽度の擦過傷、左膝外部に挫創、左頬部及び左大腿部に各打撲傷を受けた他、脳出血及び蜘網膜下出血の傷害を蒙つたことが認められる。もつとも、証人(省略)の証言(第二回)によると、原告は、昭和三十一、二年ころ、軽い脳出血のおそれがある旨の医師の診断によつて、約一ケ月間仕事を休んだことがあること(原告は、六年前に脳卒中で倒れた既往症がある旨の証人塚部の証言部分は右の事実を指す。)、また、証人(省略)の証言によると、原告は、本件事故発生前から血圧が高く、しかも、再生不良性貧血様骨髄症であつて、脳出血や蜘網膜下出血を起し易い体質であつたことが認められる(この認定に反する証人(省略)の証言(第一回)部分は採用しがたい。)し、外力の作用によらないで脳出血を起す場合も皆無でないことが認められるけれども、これらの事実は、右認定の妨げとはならず、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

二、被告が被告車を所有し、これを被用者である訴外河本に運転させて被告の業務を執行中に本件事故が発生したことは当事者間に争いがないから、被告は、被告車を自己のため運行の用に供していた者であることは疑いがなく、したがつて、被告は、その抗弁が理由ありとされない限り、本件事故の発生によつて原告が受けた損害を賠償すべき責を免れることができない。

三、(証拠―省略)を総合すると、本件事故の発生した前示の場所は、訴外小野田レミコン株式会社足立工場の正門(門柱間の距離は、約九、七米であり、門扉はない。)前の道路上であるが、この道路は、北方の荒川放水路方面から南方の荒川方面に通ずる幅員約一〇、四米の一直線のコンクリート舗装の道路(但し右正門の南側の門柱から一三、四五米以南は、凹凸のある砂利道であり、右以北も、中央部の幅員八米を除く両側端の部分は、非舗装である。)であり、この道路と、足立工場の敷地との境界すなわち、道路の西側の線上には高さ約二、五米のコンクリート塀が設けられているし、この塀の線上に正門があるため、正門から道路上に進出する車両と、その南方から北方に向つて道路の左側部分を進行する車両とは相互に見通しが悪いこと、そして、一旦、正門の線まで出ると塀際に障害物がない限り道路上は左右とも十分見通すことができるのであるが、本件事故が発生した日には、正門の南側の門柱から約一米以南の道路上に塀に沿つて約四台の自動車が駐車していたため、正門の線上においてもなお、南側の見通し関係は不良であつたこと、ただ、被告車は、運転席からその最前部まで約二、七米あるので、正門から道路上に進出する被告車からその南方の道路上を北進する原告車を発見するよりも、原告車から被告車をより早く発見できる関係にあつたこと、被告会社は、当時、四六台のコンクリートミキサー車を使用して前示工場から生コンクリートを搬出していたのであるが、同工場に砂利及び砂を運搬する訴外安部川開発株式会社のダンプカーを加えると、一日に右工場の正門を出入りする車両数は延べ数千台に及んでいたこと、そこで、被告会社と安部川開発株式会社とは、共同して、正門から道路上に進出する車両と、道路上を直進する車両との出合頭の衝突事故を予防するため、毎日午前八時から同一一時三〇分まで及び午後〇時三〇分から同四時までの間正門前付近に旗振りの信号手を配置していたのであるが、訴外河本が被告車を運転してこの正門を出ようとした本件事故の際は、この信号手がたまたま不在であつたこと、そして、被告車の最前部が正門の線を時速五、六粁のゆるやかな速度で越したころ、その南方約一五米付近の道路左側部分を原告車が時速約二十三、四粁の速度で北進していたのであり、被告車の運転席がほぼ正門の線に達したころ、河本は、北方約二五米の地点を南方に向つて進行してくるダンプカーを認めたが、被告車をその位置で停止させず前示の速度の儘で更に前進したこと、しかも、河本は、右ダンプカーの通過後、右折してこれに追尾しようとしたため、ダンプカーのみを注視し右側すなわち道路の南方から北進してくる原告車には衝突するまで気付かなかつたこと、かようにして、被告車の運転席が正門の線から道路上に約一米前後進行した位置において、車首をやや南方に向けた被告車の前部バンパーを取付ける右側の金具付近(被告車は、当時前部バンパーを備えていなかつた。)と原告車のフロントカバーの左側上部付近とが衝突し、原告は、被告車の右前輪の前方で衝突地点から約二、二米の位置に頭部を南にして仰向けに倒れたことが認められる。前掲各証人の証言中、右認定に反する部分は採用しがたく、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

右に認定した事実と、前示原告の受傷の部位及び甲第一七ないし一九号証、証人(省略)の各証言を併せ考えると、河本は、被告車を運転して正門から道路に進出する際、十分に右方の安全を確認しなかつたこと及び、右衝突は、被告車が前示の位置で停止する直前か少くとも停止した瞬間に発生したことを推認することができるのである。被告は、河本が正門の線から被告車の前部が三、四米前進した位置で約一〇秒間停止して左方を注視していたところ、これに原告車が自ら衝突したものである旨主張し、これに符合する証人(省略)の各証言部分があるけれども、右は、前示認定の事実に照して採用しがたい。また、被告は、河本は被告車の最前部を正門の線上にした位置で一旦停止して右側も注意した旨主張し、これに符合する証人(省略)の証言部分もあるが、河本が右の位置で一旦停止したとの点は採用しがたく、進行中の被告車上から右側を注視したとしてもこれのみをもつては未だ同人が右方の安全を確認したものとするに不十分であり、他に被告の右主張を認めるに足りる証拠はない。してみると、河本は、前示認定のように、正門からより広い道路に進出しようとしたのであり、また、被告車の運転席が正門の線上に達したころ、道路の左側から進行してくるダンプカーを認め、右折してこれと同方向に進行しようと考えたのであり、しかも、右側は見通しが悪いうえ、折から信号手も不在であつたのであるから、かような場合自動車運転者としては、自ら下車して右方の安全を確認するなど可能な限りの方法によつて先ず右側の安全を確認すべき義務があるし、また、道路上を直進する車両の進行を妨げてはならない義務がある(道路交通法第三六条第二項、同第三七条第一項参照)から、少くとも、左側の路上から進行してくるダンプカーを発見した位置で停車すべきである。自動車運転者が右の義務を怠つて右側の見通しが可能な位置まで漫然と道路上に進出すると、その右側から進行してくる車両にとつては、道路の左側部分は進出した車体によつてせばめられるうえ、右側部分はダンプカーの進行によつて塞がれるため、直ちに停車できる時間的、距離的余裕がない限り、本件のような衝突事故を惹起する危険が極めて大きいからである。しかるに、河本は、前示のように右側の交通の安全を十分に確めないうえ、左側から進行してくるダンプカーを発見しても、その位置で停車することなく漫然と前進したのであるから、これをもつて、同人が被告車の運行に関して注意を怠らなかつたとは到底認めるわけにはいかないし、他に、同人の無過失を認めるに足りる証拠はない。

他方原告は、原告車を運転して道路の左側部分を前示のように時速約二十三、四粁の速度で北進し、見通しの悪い前示工場の正門前にさしかかつたのであるが、前示のように被告車をより早く発見できる関係にあつたのであり、その前方からはダンプカーが接近してきたのであるから、かような場合車両の運転者としてはまず減速徐行するとともに、前方注視を厳にし、工場内から道路上に進出しようとする車両を発見したときは、いつでも停車できる体勢で進行すべき義務がある。運転者がこの義務を怠つて漫然と進行すると、その左前方の工場内から進出する車両を発見した場合に、道路の右側に避譲することも停止することもできぎずに本件のような衝突事故を惹起するに至るのである。しかるに、原告は、右の注意を怠つて漫然と前示速度で進行したため、被告車を発見しても直ちに停車することができずに、これと衝突するに至つたものと認められるから、本件事故の発生は、原告の過失もまたその一因となつているといわなければならない。しかしながら原告の右過失は、後記認定のように過失相殺の事由とはなつても訴外河本が無過失であつたと認め難いとする前示認定の妨げとなるものではないから、被告の抗弁は、その余の点について判断を加えるまでもなく理由があるということはできない。

四、(証拠―省略)によると原告は、

1  前示受傷のため直ちに足立区桜木町五三〇番地の訴外尾竹橋病院に入院したが、そのころ、その費用として、昭和三七年四月分金一六六、六七〇円、同五月分金七九、九九〇円、同六月分金五五、六〇〇円及び同七月分(同月七日まで)金一一、四九〇円派出婦二人分の料金として合計金二万円以上合計金三三三、七五〇円の支払いを余儀なくされて同額の損害を蒙り、

2  原告の妻竹が、同病院において付添看護婦をした際の食費として昭和三七年四月分金三、四〇〇円及び同五、六月分金九、〇五〇円合計金一二、四五〇円の支払を余儀なくされて同額の損害を蒙つたことが認められ(以上のうち、昭和三七年四月分の入院費用金一六六、六七〇円、派出婦料金二万円及び原告の妻竹の同年四月分の食費金三、四〇〇円合計金一九〇、〇七〇円の損害については、被告はこれを明らかに争わないから自白したものと看做す。)、右認定に反する証拠はない。

3  (証拠―省略)を総合すると、原告は、約三五年前から靴下の卸販売業を営み、昭和三一年三月二四日東京都公安委員会から軽自動車の運転免許をえてからは、いわゆるオートバイを自ら運転して製造業者から仕入れた靴下を各得意先に卸販売をしていたものであるが、本件事故の発生によつて前示のような傷害を受けた結果、後記認定のように今後は右の生業を継続することが不可能になつたこと、原告は、明治三六年一二月五日生れであるから、本件事故発生当時五八才であつたこと、しかも、原告の右職業は、さして重労働ではないので通常の健康状態の者ならば、六五才までは続けられるから、原告は、本件事故に遭遇しなかつたならばなお、七年間は右職業を継続することができたと推認されること、そして、原告の一ケ年間の売上高は、約五百四、五十万円であり、その純利益は、原告が主張する金五二〇、一〇四円を下らないことが認められる。もつとも、原告が脳出血を起し易い素質を有していたことは、前示のとおりであり、また、甲二二号証の一、二によると昭和三六年度の所得金額が得意先の破産によつて金二〇万円に低下したことが認められるが、これらの事実は、右認定の妨げとはならない。蓋し、前者をもつて原告の前示可働年数を判然と短縮すべき資料とすることはできないし、また、後者のような特別の事態をもつて、原告の所得の常態とするのは不当であるからである。他に、右認定を覆すに足りる証拠はない。してみると、原告は、本件事故の発生によつて、七年間の得べかりし利益を喪失したことに帰するから、ホフマン式計算法によつて(中間利息は、民事法定利率年五分の割合による。)受傷当時の現価を推算すると、その額は、金三、〇五五、二六八円(円未満は切捨て)となり、したがつて、原告は、同額の損害を蒙つたものといわなければならない。

4  原告が本件事故の発生によつて蒙つた傷害は、すでに認定したとおりであるが、(証拠―省略)を総合すると、原告は、前示病院において事故発生直後から昭和三七年七月七日まで加療を受け、脳出血を除くその余の傷害は、ほぼ全治して退院したが、同年九月一日ころまでは通院して加療を受けていたこと、現在、なお、右半身に運動障害が遺り散歩程度の運動は可能であるが、歩行速度は極めて緩慢であり、軽度の言語障害も遺つているうえ、智能も低下しているため、前示の生業を継続することは不可能であり、しかも、この状態が回復するとは期待しがたいことが認められ、右認定に反する証拠はない。右の事情と前示原告の身体の素質、年令、職業、資産、家族関係その他諸般の事情を考慮し、原告が本件事故によつて蒙つた精神的損害に対しては、金五〇万円の慰藉料をもつて相当とする。

五、してみると、原告は、本件事故の発生によつて、右合計金三、九〇一、五六八円の損害を蒙つたというべきであるが、右事故の発生については原告の過失もまたその一因となつていることは前示認定のとおりであるから、右損害のうち被告が賠償の責を負担する範囲は、その六割に当る金二、三四〇、八八〇円をもつて相当と考える。そして、被告は、すでに原告に対し、昭和三七年四月末までの医療費、派出婦料、原告の妻竹の同年四月分の病院付添食費及び病院の保証金等として合計金二一〇、〇七〇円を支払つていることは、原告の自陳するところであるから、被告が原告に支払うべき金額は、金二、一三〇、八一〇円である。

六、そこで、被告に対し、右金二、一三〇、八一〇円の損害賠償を求める部分の本訴請求は正当としてこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条本文、仮執行の宣言について同法第一九六条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第二七部

裁判官 羽 石   大

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